夫婦でジョギング

生涯現役

100歳まで現役で働きたい

34歳で死と直面する。

34歳の時、サイクリングでガードレールに激突し、
肝臓破裂の大事故(自爆)を起こしました。

6時間にもおよぶ大手術で、
助かる可能性は少ないと担当医師に告げられたそうです。

九死に一生を得、4ヶ月間の入院で済みました。

結婚して3年目、第二子が生まれて1ヶ月足らずの時でした。

当時、私は小売業の会社の経営幹部でした。

ディスカウントストアの先駆けで、飛ぶ鳥を落とす勢いで急成長し、
私はその第一線にいました。

私はその仕事を天職だと思っていましたし、
いずれは社長の座に就くことも夢ではないと信じていました。

「生きる」ということに目覚める

死と直面したことをきっかけに、
私の頭の中に様々な疑問が渦巻き始めました。

自分は何でここにいるのだろう?

もし、このままずーっととこの会社にいたらどうなるだろう?

いずれは定年を迎え、老後という第二の人生を迎えることになる。

そもそも、今の仕事で人生を終えることになって
それでいいのか?

私は九州の田舎の農家の一人息子として産まれました。

農業には、もともと定年という概念がありません。

また、家業なので、健康である限り、
死ぬまで家族の中での役割があります。

サラリーマンの家庭に生まれなかったことで、
私は死ぬまで仕事をすることが当たり前だと思って生きてきました。

36歳が大きなターニングポイント

36歳、それはその会社に入社して10年目でした。

36歳、それは3度目の年男の年でもありました。

次の年男は48歳。

48歳になったら、会社を辞める勇気、ましてや独立する勇気が残っているだろうか?

そう思った時、今しかないと決断しました。

結婚して5年目。

家を買って半年。

4歳と2歳の娘と妻を抱えた駆け出しの家族。

後先を全く考えずに、辞表を提出しました。

無謀としか言えない行動でした。

しかしながら、無謀だったからできたんだと思います。

独立に向けてキャリアアップ

その後1年間、就職浪人をしました。

小売業や卸売業からは、いくつかお誘いがありましたが、
一旦ゼロから再スタートしたかったので全てお断りしました。

将来、自分がどうなりたいのか?

どんなことがあっても、
とことん極めたいと思うことがあるのか?

従来のような体力まかせの仕事は、
いつかまた限界が来る。

しかしながら、小売業以外に自信もスキルもありませんでした。

そこで、独立に向けての転職を考えることにしました。

自己分析で自分を見つめる

ただやってみたいとか、収入がいいからとか、
そんな動機で進路を選ぶ考えは全くありませんでした。

自分が今まで人から特に評価されたこと。

その中で、人が持っていない自分特有のこと。

それは、
・思考回路が変わっている。
・ユニークな発想力を持っている。
・行動力がある。
ということでした。

10年間の小売業の仕事で、
様々な販売実験を行い、
「購買心理」や「購買行動」を実践で学んできました。

今度は、その実践学スタイルで本格的にマーケティングを極めたいと決意しました。

結果、退職して8ヶ月後に、奇跡的にインストア・マーチャンダイジング(ISM)専門のマーケティング会社に入社。

その会社に入社できたのは、正に奇跡でした。

年齢制限が27歳。

競争率が何と80倍。

超一流企業ばかりをクライアントに持つ優良企業で、私にとっては夢のような存在でしたから。

ハッキリ言ってびびりました。

受験したときに私は37歳でしたし、
マーケティングの本格的な勉強はしたことがなく、
全てが我流でしたから。

でも入社後、またしてもその「独学=我流」という力に救われました。

マーケティング理論を学んだ理論家ではなく、
ものを売るという現場で暗中模索で試行錯誤して得た実学だったので、あらゆる現場で説得力があり、信じられない成果をたくさん生み出すことになったのです。

化粧品、家電、食品、タバコなど大手メーカーの店頭戦略づくりに第一線で参加させてもらいました。

販売チャネル開発、什器開発、POP開発、店頭ディスプレイ、店頭実験などなど、胸躍るエキサイティングな現場ばかりでした。

ここでも、理論や座学では学べないことばかり。

「結果を出すこと」だけが評価なので、
企業の大小も先輩後輩もなく実力だけの
ワクワクする世界でした。

独立に向けて始動!

ただ、あくまでも次の独立が私の目標でしたので、
ひたすら自分の能力開発に自己投資を続けました。

土日は中小企業診断士、平日の夜はコピーライティングの学校に通いました。

企画系の仕事なので、仕事はいつもエンドレス。

自宅で勉強する時間は全くとれないので、朝の通勤電車の中の1時間だけに集中しました。

お金を貯めるとか贅沢をすることには目もくれず、
自分のパワーアップ、スキルアップに集中しました。

経営のこととマーケティングのことを実践で学べたので、入社4年目には独立のチャンスを模索し始めました。

そして、5年目に今の「ビッグアート」を起業しました。

一生現役で仕事をするための仕組みづくり

あらから何度も試練があり、何度も窮地に追い込まれました。

現在、創業して28年。

起業して30年生存する確率は、1万分の2だとか。

あきらめさえしなければ大丈夫です。

ともあれ、自分が経営者である以上、
定年はありません。

ただ、ここで問題があります。

それは、
・自分がいつ死ぬかわからないこと。
・社員を抱え続けたら、社員に迷惑をかけること。
・自分が死んだときのための対処方法と準備。
などです。

自分が元気なうちに後継者に事業を引き継ぐというのが、一般の考え型です。

自分の志を継いでくれる人に事業を譲ることは、
私も考えてきました。

しかしながら、それを実行するには、
自分自身がまだ60歳前後で若い後継者にバトンタッチしなければなりません。

会社存続、次世代への継承という本来の考え方では
もちろん正当な考え方です。

しかし、自分が早々にリタイアしなければいけないというのでは、94歳まで現役で生き続けた祖母のような生き方はできなくなります。

70歳。これから30年の人生とビジネスに向けて。

私は、今年で70歳。

まだまだ、事業意欲は低下するどころか、次々とビジネスの夢が湧き上がってくるのを止められません。

36歳の時から、私は会う人ごとに
「私は100歳まで現役で仕事を続けます」
と言いふらしてきました。

今も、100歳までのビジネス計画、人生計画を毎年書き換えています。

企業とは、「Going consern」つまり継続し続けることが前提です。

それに反して、近年では最初から数年で儲けて廃業する企業や儲けたら会社ごと商品として売ってしますという残念な経営者が目立ってきたのは残念なことです。

会社には、企業と生業があります。

社会貢献が目的の会社は企業で、生活のための会社は生業と言われます。

生活のためという訳ではありませんが、
私の一生現役で誰かのために働き続けたいという生き方を実践するには生業という選択になるのかも知れません。

ならば、自分のビジネスを企業と生業に明確に分ける必要があります。

人のため社会のために継続成長し続けるべきビジネスと
私が健康で輝き続けるためのマイライフビジネス。

年金に頼らず死ぬまで自分で稼いで、
自由に楽しく生きる。

これは、私の祖母から学んだ人生哲学というかライフスタイルです。

それを実践するには、継続成長を前提とした企業型のビジネスと、
私の人生を楽しく生き抜くための個人的な生業型ビジネス(私が死んだら無くなるビジネス)えを上手く使い分けていくことです。

5年前から課題に取り組み、やっと至った結論です。

でも、それはまだスタートに就いたばかりです。

このブログは70歳からの挑戦記録です。

このブログは、過去の成功談や自慢話をする場ではありません。

むしろ、70歳にしてなりふり構わない不格好な奮闘記になると思います。

私自身、前例を全く知らないので、未踏の世界です。

生きている限りは、あきらめずに挑戦を続けていきます。

私は、「100歳まで現役で仕事を続ける」とは別に、
「ベッドの上では死なない」という目標があります。

健康に寿命を全うするということです。

ただ、私は、34歳の時の自転車事故の他にも、
死と背中合わせの事故を2回経験しています。

1つは、新入社員の運転で軽トラに同乗していた時に、
雨の中首都高でスリップして、中央分離帯に激突し、後ろから来た大型トラックにもぶつかって大破!

車は完全にスクラップになりましたが、運良く二人とも無傷でした。

もう1つは、天井画の現場で高さ5mの足場から落下。

強い打撲で一時は歩くこともできませんでしたが、完全に復帰。

そんな具合ですから、私が死ぬとしたら事故の可能性が高いと予感してます。

このブログが、無事私の目的地到達まで書き続けられることを願います。

もし、この私の(無謀な)闘いに興味や共感を感じる方がいらっしゃれば、次の記事も読んでいただけたらうれしいです。

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